バンクーバー珍道中

バンクーバーでの備忘録

ブースターワクチンとその後

 月曜日にブースターワクチンを接種して6日。ファイザーのワクチンを接種できたのはありがたかった。

 1.2回共にモデルナのワクチンを接種したが、思った以上に副作用が強く3回目は出来るならファイザーのを、と思っていたが生憎モデルナ接種をしていた人間は3回目もモデルナにしてほしいとクリニックの受付の人に言われた。

 がっかりしていざ接種となった時、「ファイザーのワクチン打ちたかったわー」と注射をする人に愚痴ると、「あ、だったらファイザーにする? 保健証見たけど30歳以下みたいだからそういう人にはファイザーを勧めてるんだけど」と言われた。断る理由もないので、ファイザーを打ち、その後買い物をしていざ副作用に備える。

 だが、こいつが待てども待てどもやってこない、驚くほどやってこない。「こ、こんなに軽いのかファイザーの副作用は・・・」と驚愕するほど何もなく、夜まで読書に夕食作りなどいつもと変わらない生活を送れた。眠り際に軽く体調が崩れる感覚があったが、それも寝て起きればそこまで深刻ではなく、丁度病み上がりのような体調で目が覚め、それも午後には落ち着きそこからはすっかり元の体調に戻ることが出来た。

 こんな事だったら仕事を休むを2日ではなく1日にしておくべきだったかなと頭を捻り、モデルナとファイザーでここまで違うと、もし半年後に再度接種する際は何が何でもファイザーにしたくなってしまうな。

 

 ともかく3回目の接種が終わったが、BC州内での感染は減少傾向にあり3月にはもう一度底になるのではないか? と思っている。ただ昨年のその頃に再度感染が急拡大し、3月末には店内飲食が制限されたりもしたのであまり楽観はできないなと思う。

3回目のワクチン接種をする

 厳密には明日にだが、ブースターのワクチン接種をする。

 

 先日見たBC州内の感染者数で、2回ワクチンを接種しているにもかかわらず50代以上の人の感染者とICUに入っている人数が多かったのを見て、丁度この人たちが2回目を売ってから半年以上過ぎていることを思い出し、つまりそういう事ではないかと考えてのワクチン接種の決断だった。私が最後に受けたのが7月下旬、つまり約半年が経過しているので、そろそろ私も受けておいた方が良いだろう、というわけだ。

 またあのキツイ副作用に耐える必要があるのかと思うが、まあといっても仕方ないものである。州政府がオミクロン株のピークが来ていることを言っていたし、もうひと踏ん張りでまた感染者が減少するのでは? と考えている。

 しかし去年も3月にはまた感染者が急増したことを考えるとこの再発緩解に近いコロナの感染は2か月ペースで増減するのか? とも思う。

 いずれにしても明日明後日は仕事も休み、家でダラダラしているつもり、いや今もかなりだらだらしてしまっているか(苦笑)

 

 とにかく、副作用が深刻にならないことを祈る、できれば火曜日は本が読める程度であるとありがたい。

トロント・オタワ旅行記(後編)

 最終日となった日はホテルで10時まで眠り、ゆっくりと始動。ダウンタウンに移動後は目当ての観光場所を巡りはしたが、コロナで悉く臨時閉館、あるいは営業日ではなかった。とりあえず市内をうろつきはしたが結局14時にはユニオン駅から空港への直通電車に乗り換え、後は飛行機が来るのをゲート前でただただ待っていた。

 しかし、ここで面白かったことがある。空港内で夕食を探していた時レストランの店内で飲食できるのを見かけた。不思議に思いつつもそのレストランで食事をしようと思い、店員に声を掛ける。テイクアウトかどうかと聞かれたので店内で食べたいと告げると「じゃあ席に座っていてくれ、誰かがオーダーを取りに行くから」と言われた。店内飲食禁止のオンタリオ州でそんな事していいのかと思い、オーダーを取りに来た店員に店内飲食できるのかどうか聞いてみると、「空港はオンタリオ州じゃなくて政府の建物になるから、州の命令に従う必要はないんだよ」との返答。まあ何とも凄いやり方だが、おかげで店内で夕食にありつけたので、大変ありがたい。

 飛行機の時間になるまではゲート前のベンチにだらしなく寝そべりながら仮眠。途中起きてトイレに行こうとすると、スターバックスがありそこでトロント限定のタンブラーがあったので逃さず購入。スタバで働いている人間なので州や都市ごとの限定タンブラーがある事は知っていたが、わざわざバンクーバーのタンブラーを買うのは違うし、「カナダ」の真っ赤なタンブラーは綺麗だがもっと具体的なものが欲しいなと常々思っていた。そこにトロントというのは大変分かりやすいものなので、逃さず購入した。

 搭乗時間になり、ぞろぞろ飛行機へ。6時間のフライト中は寝るかダウンロードをたっぷりしていた動画を見ていた。丁度動画がなくなる頃にバンクーバーに着いたが、いささか尻が痛い。バンクーバーに着いてまず感じたのはとにかく暖かい(3℃)。気温がプラスであることにこれほど感謝したのは人生でも初めてではないかと思う、それくらいトロント・オタワは寒かった。

 

 以上がトロント・オタワの旅行記の顛末になる。かなりきつい時期に行き、きつい経験もしたが終わってしまえばなかなか楽しかった。やはり私は旅行大好き人間なので、またしばらくしたら自分に旅行をプレゼントしてあげたい。

トロント・オタワ旅行記(中編)

 VIA鉄道に揺られる事5時間。ほぼ定刻通り13時過ぎにオタワ駅に到着。駅からすぐの市内電車に乗り換え、バックパッカー用の宿に向かう。ダウンタウンから少し外れたくらいにある場所で、ボロではあるがまあ40ドルそこそこの値段ともいえる宿に荷物を置き、市内観光。まずはチューリップ園のある場所に移動したが、とんでもない積雪のお陰で地面が見えない。園のどこかにはオランダ王室からの友好の証である記念碑があるはずなんだが、それを探す気も失せてしまうほど雪ばかりで参ってしまった。園は川沿いにあり、というか最初は超巨大な公園か何かだと思うほどだだっ広い土地が目の前に広がっており、そこに家族ずれから独り身の仕事帰りの人までぞろぞろ移動しているので、私もそれについて行ってみた。

 するとそこは実際は川で、それがマイナス10度以下の天気で凍っているのでスケートリンクに転用され、皆スケートシューズを履いて凍った川の上を疾走している。仕事や学校帰りの人がスケートシューズに履き替え、友人と話しながら川の上を滑っている光景は「こ、これが本物の雪国か・・・」と感動、というより恐れ戦いてしまった。川沿いに歩くと所々、川から道路に上がれる場所が設けられており、そこでスケートリンクから靴に履き替えて各々が目的地を目指すようだ、確かに川を渡れば早かろうが、やり方が雪国だ。

 それを一通り堪能したら、今度は街の中心に戻ってカナダの国会議事堂やら主要な政府建物を観光。だが、このタイミング(17時)で日が落ち始め、だんだんと耐えられるレベルを超えた寒さになってきた。手袋を取ってスマホで写真を撮ろうとしたら腕が痺れはじめ、足は結構良いゴアテックスの靴だというのに、雪解けした水が入り込み、それがマイナス20度の気温で急速に足元の体温と感覚を奪っていく。大急ぎでショッピングセンターに駆け込むも、オンタリオ州はレストランや珈琲ショップでの店内飲食が禁止されているので落ち着ける場所もなく、時間が経ち真っ暗になれば外は人間の生きていける気温ではなくなると感じたので、特攻覚悟で宿まで戻った。時間にすればものの10分程度だったと思うが、できれば二度と経験したくない10分間だった。

 宿に戻ってからはとにかく体を温めるのと、失った体力を取り戻すために寝倒した。ただあまりに疲れすぎていたせいか、2時間寝ては起きるを繰り返していた。結局18時前に宿に着いてからはまともに動くこともなく、寝ては起きて、眠くなるまでだらけてまた寝る、の繰り返しだった。そのお陰かひとまず疲れを残すことなく翌日を迎えることが出来た。

 翌日はオタワからトロントに帰る。朝8時の列車で帰るんだが、そのためには6時に起きねばならず、そんな頃の気温と言えばマイナス26度と私の人生で未踏の領域にある気温だ。とにかく急いで宿から市内電車で駅まで向かい何とか事なきを得た。VIAオタワ駅構内は外気を忘れさせてくれるほど暖かく、そのまま眠りこけてしまいそうになるほどだった。帰りの列車は車両トラブルとそれによって乱れたダイヤがドミノ式に乱れた影響で出発が30分以上遅れた。車内に乗り込んだは良いものの、行きの客車と違うせいなのか、車内が寒い。窓を開けっぱなしにして暖房を全開にしているようなあべこべさを感じる車両でとても雪国を走るために設計されたとは思えない代物だった。おかげで6時間の移動中一睡もできず余計疲れてしまった。

 15時にトロントへ戻って来て、バンクーバーで知り合った友人と再会。ショッピングモールをうろつきながら2時間ほどだべりながらお互いの事を話し合った。久々に会えてとても嬉しかった、列車の事もこの頃にはすっかりと忘れてしまっていた。友人と別れて今度は宿へ移動。空港近くに取ったが、これは少しダメだった、ダウンタウンから遠く移動に1時間もかかる。急な予定変更でホテルも変えてしまっていたので、それが悪い方に出てしまった、次からは少し高くても中心街に泊まらなくては。夕食は宿近くにあるお寿司屋さんでテイクアウトを取り、ホテルの室内でそれを食べた、思えば旅行中に食べた唯一まともな食事だったかもしれない、このご時世だとテイクアウトしたものを食べる場所がなく、旅行中だとゆっくり座れないと難しいのが災いしている。最終日に至ってはテイクアウトしたラーメンをユニオン駅構内のベンチに座って食べるという珍妙な事をしてしまった。閑話休題、ホテルで夕食を終えた後はオタワの時同様寝ては起きて、眠気が来たらまた寝てを繰り返した。

 

 これが1日目、2日目の旅行内容になる。振り返ってみると、私は修行僧か何かではないかというくらいキツイ事ばかりしているな、というより冬に本物の冬国に旅行したのが間違いだったなと。トロントだけで終わっていればよかったがコンサートキャンセルで時間が出来てしまったので「せっかくなら」という気持ちでオタワを入れたのは、些か思慮が足らなかった。ただVIA鉄道に乗れたのでその点は非常に満足だ。もしトロントやら東側にワーホリなりをしていたら大変だったな、鉄道を乗りまくるために今以上の散財を繰り返していたかもしれない。

トロント・オタワ旅行記(前編)

 金曜から今日まで3日間からトロント・オタワを観光して回った。

 

 初日は夜の飛行機でトロントへ向かい、時差の都合でトロントに着いたら朝という便。空港からそのまま駅に向かうがこの時点でもかなり寒い。ただトロントユニオン駅は駅内も大きく暖かいロビーで列車を待っていた。外国の鉄道に乗るのは久しぶりだが、何というか鉄道と言うより飛行機の登場に近い、ただ日本の鉄道が簡素過ぎるだけでふつうはこれくらいするのかもしれない。

 搭乗が始まり、ぞろぞろと車内へ流れ込む。客の数はかなりまばらで25列2×2シートくらいの座席だが、客は一列に2人とかなり少なくおまけに私の指定席に座ろうとしたら先客がおり「気にするな、適当に座れ」と言われ、実際他の客もそうしていたので私もそうすることに。「ええんか・・・?」と思いながらも、回転式の座敷でないので、顔を進行方向に向けて座れる席に移動できたのは嬉しい、5時間後ろ向きでは酔ったら大変である。

 驚くべきことに定刻通りに列車は出発し「貴様、本当に海外の鉄道か?」と疑ってしまった。VIA鉄道初めての乗車にうきうきしていたが、ともかく体力温存と早めに眠ってしまい、時々起きては雪を巻き上げる車窓に感動しまくっていた。

 

 今日は旅行から帰ってきた日で浸かれているので、とりあえずここまで。明日からちゃんと書こう。

天気が上向いてきた日曜日

 最近のバンクーバーは先月から続いていた豪雪がすっかり終わり、いつものどんよりした天気に戻った。気温が上がっているから着るものが少し薄くなるし、何より足元が凍結していないので歩きやすいことこの上ない。加えて、先月から豪雪が続いていたのも幸いしているのか今年のバンクーバーの天気は曇りは多いものの雨が少ない。昨年がほぼ毎日雨が降り続いたが今年はその半分という感じ、実に過ごしやすい。このまま3月までこの天気が続いてくれればよいが・・・。

 

 BC州政府の見解としては今週から23日までにオミクロン株の感染者がピークを迎える、という予測を立てているらしい。オミクロン株が広がる前で且つ年末年始での移動から丁度2週間が経過し、徐々にそこで広まってしまった感染者の全貌が明らかになり、そのピークが来週中になる、という見立てを立てているようだ。土曜日のバンクーバーサン紙でもこのオミクロンに対する楽観的な見方が出来るのではないか、という見解の記事を読んだが(それでも無論厳重に注意するべきと勧告していた)、BC州全体の傾向としては感染者は増えてはいるものの、展望が悲観一辺倒でない、という所だろうか。答え合わせは来週中、というか明日からの定時報告で増えるか減るかが分かるだろう。

 ただ個人的には、今抗がん剤治療だったかを始めたBC州政府首相のジョン・ホーガン氏がテレビに出る機会がめっきり減っているのが気になる。そこの後任人事も知りたい、NDPから臨時に立てるのか、もう一度選挙を行うのか、オミクロンが落ち着くまでは後回しだが、その後に争点になるだろう。

 

 新年早々ボニー・ヘンリー博士とアドリアン・ディクス氏は大忙しだなと思うが、いまだにこの二人の役職の区別がつかない。

 ボニー・ヘンリー博士は「Provincial Health Officer」と表記され、翻訳機にかければ州の衛生局長、対してアドリアン・ディクス氏は「BC Minister of Health.」と表記され、これはBC州の保健(衛生)大臣となる。

 で、テレビとかの会見を見る限りディクス氏の方がヘンリー博士より上位の役職にある気がするので、州の保健大臣の下に州の衛生局長が存在する、という解釈に今はなっているが、じゃあこれを分ける意味は何だ? どっちも管轄はほぼ一緒で州と市などで配属先が違うという訳でない。

 英語で検索を掛け、出てきたWikiを適当に翻訳機にかけてみると、まずディクス氏が長を務める州の保健省(The Ministry of Health)が存在し、そのいくつかの下部組織の中にヘンリー博士の所属する州の医療機関(Provincial Health Services Authority)という形で存在しているらしいが、うーん、これでは事実の列挙で具体的になんであるか、についての納得ができないな。

 こうなったらいっちょ州政府にメールでも投げてみるか

 

PCが反抗を繰り返す日曜日

 半年前に買ったPCが最近よくフリーズする。ぐぬぬ、お高めのを買ってこのざまというのは何とも情けなく、修理に出すつもりだがここで何か大きな出費は中々に痛手である。半年間調子が良くてもすぐにぐずってそのまま戻らないのは電子製品の特長だな、うーむ対策のしようもない。

 新年が始まって1週間ほどが経過したが、ひたすら英語勉強の日々。当然と言えば当然だが、こちらも手詰まり感があり頭を抱える毎日である、とにかく毎週きちんとやることはやり切っていきたい所存、やり切ることが大事だなと。

 そういえばまた新しく動画を投稿した。3週間も投稿ペースが開いてしまい、だらだら寝正月に自分は何をしていたのか、とがっくりもくる。今後はこちらにも力を注いでやらねば。

 来週にはより良い事をここにかけるといいんだが、今は少し筆が乗らない。