バンクーバー珍道中

バンクーバーでのワーホリ備忘録

部屋の掃除

今日は死ぬか生きるかの問題は大分超越している。それが変化してむしろ生きるか生きるかと云う競争になってしまったのであります。生きるか生きるかと云うのはおかしゅうございますが、Aの状態で生きるかBの状態で生きるかの問題に腐心しなければならないという意味であります。

夏目漱石 現代日本の開化

 

以前勤めていた会社の上司も私が辞める時に「ここを辞めたらホームレスになるかもしれないぞ」と言ってきたりしたが、それ以前にそんな極端な状態は大分前になくなり、「自分がどう生きたいか?」という選択をしていく必要があるのだと思う。

ともすれば豊かになったかのようにも思うが、そうはいっても心の中までは一向に変化がない。馬車が車に、紙ヒコーキがジェット機に、笹船が豪華客船に変わるほど歳月が経とうとも、それほど人間の悩みに変化はない。それについては上の本の文の後に説明されているのでここでは書かない。

まあ人間どうせ死ぬのに日々あくせく生きている訳で、誰もそれを疑問に思わない。だがそれは当たり前だ、それは丁度部屋の掃除をしている人間に「何故掃除する。どうせ1週間もすれば汚れるじゃないか」というのと同義だ。それに「そういうもんだ」と答えるか「部屋を綺麗にすれば、気分が良くなるからだ」と答えるのはその人次第だし、その人を表しているとも言える。

人生という部屋はどんどん汚れていく、20年、40年、60年住めば住むほど汚れていく。それでも諦めず掃除を続けていれば、60年経ってもきっと綺麗なままだろうし、恐らくその人「らしさ」も出てくるだろう、だが汚いを汚いままにすれば恐らく当の本人以外は寄せ付けない不気味で荒んだものになるだろう。部屋は汚れる、汚れ続ける、どんな努力をしようとも染みができる、亀裂が走る、物は朽ちていく。だが、それで諦めたらだめなんだ、何もしなければ状況はよりひどくなり続ける。だから掃除しなければならない、あの綺麗な部屋の清々しさを思い出しながら、染みを抜き、亀裂を埋め、物を改める。そうやってこそ部屋は保たれるのだ、誰かが勝手に維持してくれるわけでもない。

頭の中がこんがらがったので今日はここまで、それでは。

 

 

現代日本の開化

現代日本の開化